留学体験記

学生たちの留学体験記です。
春・夏休みを利用した短期留学から、一年以上の長期留学まで、留学先もさまざまです。これから留学を考えている人は参考になるかもしれません。


先生、同級生と北京大学にて

授業は発音に始まり、料理の注文のしかたから討論まで幅広く学びました。放課後は自分たちで街に出かけ、習った中国語で実際に現地の人と会話。週末は万里の長城や故宮などの名所訪問、最後の研修旅行では上海観光と、盛り沢山の内容で、教科書だけでは学べない貴重な体験ができました。
2009年春:北京大学 中国語中国文化学科3年生 石川仁美


ドイツ人の友人と

私は中国の河南省鄭州市の鄭州大学に、日本大学の中国語圏派遣交換留学生として一年間留学しました。留学した当初は、教科書は見れば理解できても、耳から入る先生の説明はなかなか理解できませんでしたが、やさしい先生のご指導やクラスメートのお陰で次第に慣れて理解できるようになり、最終的には皆勤賞をもらうことができました。授業以外でも、日本にいては経験できないことが経験でき、留学して本当によかったと思っています。
2007年9月~2008年6月:鄭州大学 中国語中国文化学科4年生 原田侑歩


万里の長城にて

中国での1ヵ月間は毎日が刺激的で、何もかもが新鮮で、充実した楽しい日々でした。初めは語学力に不安がありましたが、その不安はすぐに解消されました。午前中に北京大学で授業を受け、午後はその日に習った表現を早速使って、買い物をしました。このような日々を過ごしているうちに実践的な語学力が身についていきました。そこで必要なことは、積極性だと感じました。これは学ぶということ全てに必要なことだと思います。私は今後、語学研修での経験を活かして積極的に学んでいきたいと思っています。
2006年夏:北京大学 中国語中国文化学科2年生 山﨑早央里

私は2006年9月から約1年間、文理学部の派遣で北京大学へ留学しました。この経験は撮りためた7000枚の写真とともに私の財産となりました。


留学生たちとのクリスマスパーティー

1年間外国人に囲まれた生活は刺激に富んでいて日本に帰りたいとは1度も思いませんでした。先生方は授業に関係ない事にも親切に答えてくれますし、学生は各国の優秀で味のある人たちです。寮の階段で大熱唱するロシア人、晴れれば日向ぼっこをするオランダ人、1ヶ月私を韓国人だと思い続けた韓国人などなど。
寮での生活は、物静かで優しいベトナム人のルームメイトに恵まれ、何の問題もありませんでした。すぐ近くに友達が住んでるので、暇があれば邪魔しに行き、料理を作ってルームパーティも毎週のようにしました。授業はもちろん、馬鹿騒ぎをしながら中国語は上達するし、日本で出会えない人に出会い、刺激を受ける。これが留学の醍醐味だと思います。


チベット・ポタラ宮殿にて

もう1つの醍醐味は旅行です。九寨溝・黄龍からの帰り、乗り合わせた中国人と一緒に中秋の名月を祝ったり、友達と仲良くなれば週末旅行に行ったり、旧正月には一人で飛行機に乗って中国人の友達の実家にお邪魔して、一緒に挨拶回りをしたり、丸2日間座り続けでチベットに行ったり、諸事情で内モンゴルの星空を一人見逃したり、大きな中国を肌で感じました。
一緒に生活を共にした友と別れるのは辛かったけど、必ず会いに行くと約束したので悲しくはなりませんでした。彼らとの友情は宝物で、中国での経験は財産になりました。 留学は限られているからこそ価値があるのだと思います。限られた時間、限られた場所、そして人との出会い。限られた大学生活をキラキラさせるのは自分次第だと思います。一歩踏み出せばきっと見える世界が変わるはずです。
2006年9月~2007年6月:北京大学 中国語中国文化学科4年生 平島綾


龍門石窟にて

中国留学。それは高校時代からの私の憧れでした。現地に行って実際に人に触れ、文化に触れられるまたとない機会!大学に入って校内で短期留学があることを知り、おまけに単位までもらえるという(笑)ということで、即決で行って来ました。感想はいいことから悪いことまで、さまざまですが…
まず第一に、あちらの先生方はみな親切で、授業もわかりやすく、日本では教えていただけないようなことも教えていただけました。
第二は、向こうでは授業以外に、実際に自分たちでいろいろと外に出て、現地の方々とお話しできたことです。何よりも、「生きた中国語」を実践で学ぶことが出来ます。もし留学するなら、引きこもっているのではなく、外に出てさまざまな人と話すことを私は勧めます。
大変なこともたくさんありますが、行って損することはありません!かならず日本へ帰ってからの最初の授業で、変化に驚きます。夏、だらだらと過ごすより、中国での学生生活を体験してみてはいかがでしょうか。
2006年夏:北京大学 中国語中国文化学科2年生 堀田沙織


天壇公園にて

海外語学研修に参加し、私は8月の一ヶ月間を中国で過ごすという体験をしました。主な日程は、平日の午前中に北京大学で授業を受け、午後は自由活動というものでした。授業内容は、文法・会話の2コマが、8人編成の少人数クラスで行われました。中国語のいろいろな言回しや、細かな発音指導など、大変勉強になりました。
毎週末には観光がセットされており、万里の長城・天安門・四合院など、中国ならではの名所を訪ねることができました。また、授業終了後には洛陽への小旅行があり、白馬寺や龍門石窟、関羽の墓などへ赴きました。
私は、中国を訪れるのは今回が初めてで、到着当初は、今まで日本で学んできた中国語が現地で通用するのか否か、不安でした。しかし、授業の外にも、宿舎や外出先のさまざまな場で中国語を使う機会があり、そうして過ごす間に、不安は消えて、会話能力も向上していました。
研修に参加することで、中国語の力が伸び、そして一部ではありますが、中国の歴史、文化を実際に見聞きすることもできました。この貴重な体験が、今後中文学科で学んでいく中で、きっと役立つと思います。
2006年夏:北京大学 中国語中国文化学科2年生 久保田有紀


2006年の8月1日から2週間、私は中興大学(台湾)のサマープログラムに参加しました。これには8カ国・14校・39名の学生が参加していたので、中国語だけではなく、英語、日本語、ドイツ語が飛び交う毎日でした。
午前は4回の中国語の授業で、午後は書画や武術など台湾の文化を体験しました。夕方は数人のグループに分かれ、中興大学の学生が博物館や公園を案内してくれたり、夜市やカラオケにも連れていってくれました。休日はバスで2時間かけて、鹿港や水里に行き、台中とは違った雰囲気を味わいました。
このサマープログラムでは、さまざまな国の人やボランティアの中興大学の学生と、中国語・英語で話し、今まで経験できなかった国際交流を深めることができました。
2006年夏:中興大学 中国語中国文化学科4年生 加藤瑞穂


思い出のチベット旅行


チベットの山々を背に

私は2005年の9月から1年間、中国江蘇省の無錫に留学しました。留学中とりわけ印象に残ったのはチベット旅行です。5月中旬、大きなバックパックを背負い出発しました。チベットは、今ではラサまで直通で鉄道がつながり、苦労なく行けますが、当時は大旅行でした。予定では、ラサへの玄関口=ゴルムドまで汽車を乗り継ぎ、そこからバスでラサ入りするつもりでしたが、途中蘭州まで行ったところで、鉄道が工事のため次の西寧止まりであることが判明。開始早々、問題発生です。
この時、偶然一人の中国人バックパッカーと友達になり、彼の提案でとりあえず西寧まで行ってみることにしました。が、やはり汽車はここまで。万策尽きたかと思われたその時、この友人は、タクシー運転手と激しく交渉し、なんとゴルムドまでタクシーで行くことになりました。もし彼と会えなかったら、そしてもし私が中国語を話せなかったら、旅は終わっていたでしょう。結局ゴルムドには12時間(!)かけ到着。その後ラサにも無事たどりつき,チベット旅行を満喫しました。
2005年9月~2006年6月:北京師範大学 大学院中国学専攻博士前期課程1年生 小久保元


北京大学食堂で、友人達と

私は文理学部の派遣留学生として北京大学に2005~2006年に1年間滞在しました。この期間は私にとって、最も濃密で最も人間的に成長できた1年でした。
北京大学はひとつの町のようで、キャンパスから一歩も出ずに生活することも可能です。語学授業は細かく班分けされ、優秀な先生、個性的な他国からの留学生に囲まれ、刺激的かつ効果的に中国語をレベルアップできました。大学内の食堂もお勧めで、十数か所もの食堂は、どこも種類が豊富で、安くておいしい食事ができます。
中国語力向上の鍵は、大学の寮の居住環境にもありました。私の場合、
(1)ほとんどの留学生と顔見知りになった
(2)警備員が詰めていて安全だった
(3)ルームメイトがスリランカ人
と安心して中国語づけになる環境が整っていました。皆さんも素晴らしい環境の下で存分に学び、充実した留学生活を楽しんでください。
2005年9月~2006年6月:北京大学 中国語中国文化学科3年生 星芽吹


今、世界で最もパワフルな北京


謝恩会で中国の早口言葉を披露

2005月の1ヶ月間、私たちは海外語学研修に参加した。研修のプログラムは、平日の午前中は北京大学で中国語の授業を受け、午後は自由行動であった。
授業は2クラスに分かれて行われ、文法語法は许红霞先生と玄月先生から、会話は杨荣祥先生と王枫先生から教わった。授業内容は、まず基礎的な発音の練習から始まり、天気や道案内の表現や、対話や作文発表などの応用編にまで及んだ。ネイティブの先生によって、発音矯正やリスニング力の向上が図られた。
授業のプログラムには、京劇鑑賞や書道体験も含まれており、中国の文化にじかに触れられる貴重な体験となった。週末は全員で万里の長城や天安門、故宮などの名所を見学した。最後の一週間は山東省へ旅行し、泰山の三千段もの階段を全員で登りきった。
北京市内には、高級デパートや屋台街が立ち並ぶ王府井、若者の街・西単、下町の風情あふれる前門、パンダで有名な北京動物園などがある。“便宜一点儿吧!”(安くして下さい)。私たちは店でしきりにこの言葉を使って値段交渉をした。こうした店員との会話が研修生活をさらに楽しくさせ、また会話力を上達させてくれたと思う。
この研修において、私たちが得たものは中国語の力だけでなく、実際に街を自分で歩き実感した中国の文化や思想、中国人の価値観でもある。北京大学で学んだことも、現地の人との触れあいによって学んだことも、私たちにとって大変貴重なものとなった。
2005年夏:北京大学 中国語中国文化学科2年生 似鳥恵美・嶋中菜美



雲崗石窟にて

2005年度一年間の留学では、中国の昔と今をこの肌で感じ取ることができました。
歴史が好きな私は、休日を利用して西安や洛陽などの古都を一人で旅しました。兵馬俑や楊貴妃が入浴した温泉の跡地(今でもまだ滾々と湧き出ています)などの文物を、実際に目の当たりにしたことで、それまでは机上の空想に過ぎなかった『史記』や『長恨歌』の世界が、時空を越えて鮮やかに蘇ってきました。
また一方で、私は日中共同の環境ボランティアに参加しました。中国の仲間と共に、植樹・農村ツアー・ゴミ拾い、さらにはシンポジウムの開催などの活動をすることを通して、現在の中国が抱えている深刻な問題の実態を、直に調査することができました。
ぜひ、あなたも自分の足で確かめに行ってきてください!きっと、現地には大きな発見と感動があるはずです。

辭北京師範大學(北京師範大學を辭す)(自詠)
朝發勵耘窟    朝(あした)に勵耘窟(れいうんくつ)を發し
欲飛蓬島空    飛ばんと欲す蓬(ほう)島(とう)の空
一還方異域    一たび還(かえ)れば(まさ)に異域(いいき)
埀涕恨無窮    涕を埀らし恨(うらみ)窮まること無し
[作法]五言絶句。上平声一東押韻。仄起式。
[語釈]
[北京師範大學]作者は、2005年2月18日から2006年1月15日まで、この「北京師範大學」に留学をした。
[勵耘窟]大学敷地内にある作者の下宿先だった留学生寮の名。正式には、『勵耘學苑』。「窟」は、掘り開けた穴。この宿舎は、11階建ての大きな建物であった。
[飛]作者は、飛行機に乗って帰国をした。
[蓬島]仙人が住んでいるという東海の東にある島。「蓬莱山」「蓬壺」ともいう。劉長卿の「登東海龍興寺高頂望海」詩に「蓬島如在眼、羽人那可逢。…」とあり、また、李白の「哭晁卿衡」詩に「日本晁卿辭帝都、征帆一片遶蓬壺。…」とある。
[異域]外国のこと。王維の「送秘書晁監還日本國」詩に「…別離方異域、音信若爲通。」とある。
[通釈]
「一人、北京師範大學に別れをつげる」
朝、(下宿先の)勵耘窟を発ち、蓬島(ここでは「日本」を指す)の空へといざ飛び立とう。しかし、一度(故郷に)帰ってしまったのなら、もうここは(一年間住み慣れた場所とはいえ)異国の地となる。涙を流しても、別れのつらさは果てることがない。
2005年2月~2006年1月:北京師範大学 大学院中国学専攻博士前期課程1年生 中元雅昭


私は2005年2月から半年間、上海大学へ留学しました。半年間の間、毎日が楽しくて、どれが一番と順番をつけることができません。
私のクラスはとても仲がよく、週末にみんなで補講を受けたり、試験の前になると毎晩空き教室などでリスニングの勉強をしたり、とても楽しく中国語の勉強が出来ました。また寮ではアフリカ系、東アジア系、北朝鮮の方ともたくさん知り合って、各国の料理などをご馳走してもらったりしました。上海という地で夢に向かって生活している、強い精神をもった彼らとの交流は、限られた場所からでしたが、世界を知ることが出来る、とても貴重なものでした。
しかし、2005年4月には、反日デモが起こりました。デモ当日は大学の門では学生証の掲示を求められ、学生が校外へ出ることを警戒して厳しかったことを覚えています。中国人の友人からは、我々にはデモに参加しようというメールが送られてきているから、当日は外へ出ない方が良いと、心配して電話をもらったりしました。しかし、寮で過ごしている分には全くデモは感じられませんでした。私にとってはこれを機に、日中韓の様々な方と歴史問題などを話し合えたことが、一番印象に残っています。
休日は可能な限り旅行をしました。浙江省温州に、友人の祖母を訪ねた際には、食べきれないほどのご馳走を後から後から出してもらいました。また田舎のトイレは汚いから我慢しろと言われて冷や汗が出たり、上海までの帰りの汽車で、満員の人の熱気と異臭に包まれながら13時間を硬座(二等座席)で過ごしたりと、田舎の中国人の生活をかいま見ることが出来ました。
中国は本当にでっかい国です。是非あなたの中国を、留学して見つけてきてください。
2005年2月~2005年8月:上海大学 中国語中国文化学科4年生 西村友美


私は1999年、文理学部の海外語学研修に参加して北京大学に1ヶ月留学しました。
この1ヶ月は私にとって忘れられないものになりました。北京での生活は予想外の出来事の連続でしたが全てが良い経験になったと思います。
授業は事前のクラス分けにより、無理なく自分のレベルに合ったクラスになるのでわかり易く、生活面でも北京大学の先生方が親切に助けて下さり、有意義に過すことができました。また、授業は午前中だけなので午後は自由に行動でき、買い物に行ったり、映画を見たり、中国ならではの珍味を食べたり、肌で生の中国を感じることができました。(初めての中国という事ではしゃぎ過ぎて冷やっとした人もいましたが)
さらに夜は北京大学の先生方が宿舎を訪れて来て、授業で分からないことや、北京の事情や中国象棋のやり方を教えてくださったり語学以外にもたいへん勉強になりました。
そしてこの語学研修は、毎年留学期間中の最後の1週間は北京以外の地を訪ねます。私が参加した時は三国志で有名な湖北省の襄樊を訪れ、三顧の礼で知られる諸葛亮の古隆中や映画撮影所や襄樊の農村を訪問し、更に見聞を深めることができました。
この留学は引率で日本人の先生がいるので、そう思うと、私の拙い中国語でも通じなくても尻込みせずに積極的に話すことができ、何かトラブルが起こっても(起こらないにこした事はありませんが)安心して過す事ができました。私はこの留学を通して語学以外にも大変勉強になったと思います。
1999夏季海外語学研修:北京大学 中国語中国文化学科2年生 K


中国へ中国語を学びに行くということはもちろん大事なことですが、折角中国へ行ったのにそれだけでは勿体無い。一たび街へ出れば、例えば買い物するにしてもそこには日本と違う仕組みがあったりして驚かされるし、中国での生活を経験することで日本の便利さに改めて気が付かされたりその逆に以外に不便だと思うところを発見できたりするはず。それらの経験はきっと自分にとって貴重なものとなるはずですから、もしも留学するのでしたら、中国という日本とは違う文化圏で生活するということを意識して生活してみてはいかがでしょうか?それだけでも留学した甲斐があったと思えるのはずですし、生活の中に根付いた生きたの中国語を学ぶこともできるので、まさに一石二鳥というものです。
ただしその際日本にいるのと同じように気を緩めていると財布をすられたり、手ひどい目にあわされることになったり、無言の帰国を遂げることになったりしかねないのでくれぐれも気をつけましょう。
1998年3月~1999年3月:北京首都経済貿易大学 中国語中国文化学科4年生 A


中国生活は毎日が驚きの連続であっという間に1年間が過ぎてしまいました。大学では中国人学生と一緒に運動会をしたり勉強したりとなかなか面白かったです。
北京は文化遺産や名跡など歴史的建造物の宝庫ですが、私は中国人の友人との交流が一番思い出になりました。
また夏休みの旅行で北京以外の中国、中国人を知ることが出来たのも記憶に残ります。
中国文化また異文化を知ることは、日本を知ると同時に自分を知ることだと思います。これから中国へ行かれる方はただ中国語を勉強するのではなく、何か一つ掴んで来てほしいと思います。
1998年3月~1999年3月:北京首都経済貿易大学 中国語中国文化学科4年生 S

私が滞在した首都経済貿易大学は、交通の便がよく、どこにでもすぐ移動ができるので、場所的には、とてもいいところでした。
学校の目の前の中華料理店は、毎日食べても飽きないくらい料理も豊富で、とてもおいしく、また寮の中はとてもきれいでとても過ごしやすかったです。
授業の面においても、先生方が丁寧に教えてくださり、色々な事をとても多く学びました。
私は、中国に行く前までは、留学を決めたことにどこか少し後悔しているところがありました。しかし中国に留学し、とても良かったと思います。中国に対する今までの考えが全く変わってしまいました。
留学をして授業に出る事も大切だと思いますが、別に出ないでも怒られるわけではありません。まず中国へ行ってみる事が大事だと思います。
ぜひ一度中国に行ってみてください。
1998年夏:北京首都経済貿易大学 中国語中国文化学科3年生 S


私は、大学2年の夏休みに1ヶ月の短期留学を体験してきました。
ここの大学は、中心街から近く交通の便も良く大変住みやすい場所にありました。中心街が近いため、放課後を利用して出かけることがとても多くできたので、他の短期留学生よりも多くの場所を見てまわることができました。そのおかげで、今の北京と北京に住む中国人というものを肌で感じることができたと思っています。
大学が中心街から近いということは、このようなメリットもあるのですが、その分勉強がおろそかになる要素も多くあり、実際に私も勉強に集中していたとは言えないと思います。
しかし、私の1ヶ月間の留学で得た経験は、1ヶ月間で学べる中国語よりもはるかに良い勉強となったと思っています。私は、短期留学に行く前から1年間の留学に行くことを決めていました。1ヶ月で学べる中国語というものは、たかが知れていると私は考え、中国語を学ぶということよりも中国を学ぶことに重点を置いて生活をしました。中国を学ぶということは、中国語を学ぶことにおいてもとても価値あるものだと私は考えるので、留学するにあたり、中国語を学ぶだけでなく中国も学ぶことをおおいに勧めます。
1998年夏:北京首都経済貿易大学 中国語中国文化学科3年生 M


1998年の春休みは私にとってとても有意義なものでした。私が留学したのは「北京語言文化大学」で、五週間の短期留学でした。その時私は既に中国語を一年間勉強した後でしたが、中国で学んだ五週間はその一年間に匹敵するものでした。中国で受ける授業は当然役に立つものですが、それ以外にも生の中国語に触れることが一番の勉強だったと私は感じました。ですから授業に出るだけが中国語の勉強ではないので、授業以外の時間をいかに過ごすかが短期留学では重要だと私は思います。
1998年春:北京語言文化大学 中国語中国文化学科3年生 K


僕は1998年の春に短期で留学したのですが、この1ヶ月は大変おもしろいものでした。最初は何もわからない状態からのスタートでしたが、帰る頃には聞く力が上がっているのがわかり、自分の意志を伝えられることに喜びを覚えました。
北京(中国)の生活で一番つらいと感じたのは朝が早いことでした。朝8時に授業が始まるため気合いを入れていないと起きられません。気合いの入っていなかった僕は欠席王でした。授業には最低限出るべきだということを痛感しています。でも朝が早いぶん午後はフリーなので、買い物に行ったり遺跡を見に行ったり昼寝をしたり…有意義に時間を使うことができます。
授業では、当然ながらすべて中国語です。話すスピードも結構速いので初めは同じ質問を何度も繰り返されてようやくわかるくらいでした。でも先生方は丁寧に教えてくれ、班分けもされるので初めての人でも問題ありません。
現地に行って気がついたのは、短期にしろ長期にしろ一度は中国に行くべきだということでした。本場に勝るものは日本では得られない、というのが僕の一番感じたことです。次は長期で行きます。
1998年春:北京語言文化大学 中国語中国文化学科3年生 K

私は春休みを利用して1ヶ月の短期留学をしてきました。日本での学習期間は一年間のみで行ったのですが、日常生活に関しては全く問題ありませんでした。
行く前には不安も多かったのですが、いざ行ってしまえば意外と早く慣れました。授業自体は日本にいるのとたいして変わりませんし(もちろん先生が話すのは中国語のみですが)、何よりも中国語を話す機会がとても多くなったことが良かったと思います。それとともにリスニングの能力が大きく向上したのもありました。
1ヶ月程度の留学では意味が無いので最低1年は行ったほうが良いという人もいます。たしかにそうなのですが、長期の休みを利用して留学すれば少なくとも前述の2点に関しては何か得るものがあると思います。
1998年春:北京語言文化大学 中国語中国文化学科3年 F

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