おすすめ本

中国語中国文化学科の学生がおすすめする本です。

『蹴りたい背中』 綿矢りさ 著
河出書房新社 1000円
私たちの権力概念は変わってきているのか。
例えば、高校には校則がある。最近の高校生は髪を染めたり、ピアスをあけたりする行為で校則を破る。それは上からの権力に反抗するという側面を持つ。しかし、権力に反抗するということでは、今も昔も変わらないだろう。
仮に、この事を最近の高校生に言ったところで、権力に反抗しているのではなく、やりたいからやっているだけだというだろう。
しかし、最近の高校生は本当に髪を染めたいから、ピアスをあけたいからというだけでその行為に走っているのだろうか。
もしかしたら、生きるスペースを切り取るため、周りから「ダサい」「ウザい」と言われることを恐れて、その行為に走ってはいないだろうか。
この仮説がただしければ、はみ出せば不良といわれた昔とは逆転していることになる。
上からの権力には反抗するが、横の権力には反抗できない。権力に従っているのが、今風に言って「ダサい」「ウザい」ならば、「ダサい」高校生は極めて多い。
そのグループじゃないと楽しくないという思いこみによるものなのか、自意識の低さなのか…。
「私は違う。」あなたはそう言うかもしれません。
しかし、クラスがえの後の昼休み、あなたの頭の中には綿密に練られた人間関係が広がっていませんでしたか?
(2004年3月26日)中国語中国文化学科 井上丈嘉

『講座台湾文学』 山口守 編
国書刊行会 2200円
日本の統治下にあった1940年代前半の台湾は、政治と文学が密接な関係にあり、文学人の「表現の自由」というものは、与えられた空間の中でのみ存在する自由であった。自国の音楽や演劇の禁止により、娯楽が不足していたので娯楽の必要性に迫られてはいたのだが、「皇民化」された文学や芸術以外に娯楽を作る事は出来なかった。そんな抑圧が呂赫若の才能を押しつぶしたのかもしれないし、同じような運命の渦に飲み込まれた文学人は多数存在するはずだ。だが、そんな時代に彼等が苦心の末生み出した作品は、台湾の人々とって「日本の支配」という名の大きな壁から差し込む小さな希望の光であった事は間違いなく、そうした苦闘の歴史を受けて、戦後台湾の文化は脱植民地化を図り、台湾文化を再構築して行くのである。台湾文化の土台が、数多くの才能を発揮しきれずに潰えていった文学人たちの犠牲の下に成り立っているという事実を覚えておくのは、日本人の義務なのかもしれない。
(2003年6月5日)中国語中国文化学科 榎本崇

『寄生獣』 岩村均 著
アフタヌーンKCDX 講談社 857円
環境問題が声高に叫ばれる昨今、環境汚染などの一番の原因は、やはり、人間である。ゴミの垂れ流しなどは地球の一部を確実に殺している。直接の対象が人でないだけで、殺人であると言えよう。いや、もう既に、人に対する殺人よりも罪は重いのではないか?
最近では環境保護や動物愛護なども存在するが、すべては人間を目安とした歪なものである。例えば、我が町に“ツバメ”を呼び戻そうという運動などがあるが、人々は“ツバメ”は好きだが、ツバメの餌である虫を“害虫”と呼び嫌う。風流があるとされるものや、美しいものは好きだが、人間から見て気持ちの悪いとされるものや、醜いとされるものは駆除される。私も気持ちはわからなくもない。しかし、この“ツバメ”と“虫”に対する人間の考え方は自然の原則とは矛盾しているのだ。人間は人間自身を万物の霊長と言うが、人間1種の繁栄だけで、生物全体を考えない者をそう呼んでいいものか。本質的には、人間こそが地球に寄生している寄生中なのではないだろうか。
この本を読んでいる途中で何度となく繰り返し響いた言葉がある。日大文理学部でも教鞭をとっていらっしゃる、生態学者:三島次郎先生のあの言葉である。
「敵もまた味方なり」
これは人間に対する最終警告なのである。
(2003年6月4日)中国語中国文化学科 井上丈嘉

『ライ麦畑でつかまえて』 J.D.サリンジャー 著、野崎孝 訳
白水Uブックス 820円
ジョン・レノンは殺された。色々な憶測が流れてはいるものの、殺されたという事実は変わらない。そして、ジョンを殺した人物は、マーク・チャップマン。彼はジョンを殺害した後、その現場で警察が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたらしい。FBIが近年公開した情報の中に、凶悪犯罪を犯した多数の若い犯人の家には『ライ麦畑でつかまえて』があったという。ただの偶然の一致かもしれない。しかし、多数の若者に、何らかの影響を及ぼした本であるという統計も出ているようだ。この本を読むと、深層心理にでも影響を及ぼすのかもしれないし、何もないかもしれない。一つだけ言えることは、読まなければ何も変わらないという事だ。『ライ麦畑でつかまえて』から一生逃げ続けるのも可能である。
だが、もう『ライ麦畑でつかまえて』を読む理由はできたはず。
(2003年6月4日)中国語中国文化学科 井上丈嘉

『世界がもし100人の村だったら』
マガジンハウス 838円
ぼくらの地球をグッと縮めて、住人100人の村にしてみる。そうしたら、小さくなった分、今まで見えずらかった事が、はっきりと見えてきた。この村には、52人の女と48人の男がいる。目、髪、肌の色は、みんなバラバラ。一番多く聞こえてくるのはニーハオだけど、それでも飛び交う言葉はみんなバラバラ。みんな信じているモノ、考え方なんかも様々で、いつも村のあちこちで喧嘩が起きている。この村の歴史は、喧嘩の歴史。その度に一番傷つくのは、女と子どもたち。いい加減、やめればいいのにそんなこと。桜梅桃李。桜には桜の、梅には梅の、桃には桃の、李には李の、それぞれちがった色や香り。お互い、もっと素直に自分を咲かせきっていけば、きっと仲良くしていける。何のためって?来年生まれてくる101人目の村人のために。
中国語中国文化学科 中元雅昭

Copyright. 2003 Department of Chinese Language and Culture.
All rights reserved.

画面左にメニューがなければ
ここをクリック